思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

東京観察記①

東京駅までは新幹線で数時間だった。新幹線での旅は旅とは言い難く、単なる移動だと感じた。窓側の席から、外を次々と流れ去る風景を見ていても、ある時には田舎の殺風景な、ある時には都会のごみごみした街並が代わる代わるやってくるばかりで、取り立てて感動を呼び起こすものはなかった。窓そのものを眺めるよりは、窓の向こうの風景を見た方が時間潰しになるだろうというような、それほど意味を持たない時間だった。それもそのはず、新幹線の線路を敷設するのに、重要な施設などをぶった切ってやるわけにもいかない。平凡な場所を拓いて線路を作るのだから、その上を走る車両から見える風景もまた平凡であるのは当たり前なのだ。しかし大きな感動を呼び起こされないからこそ、様々な考えに思いを巡らすことができる。心残りのあることや、これから先のこと、嘘か真か自分でもわからない記憶のようなものを次々に頭の中から取り出しては混ぜ合わせ、何か出来上がったと思ったらすぐまた他のことを考え、さっきのことはもう忘れてしまっているという、そんな気楽で無責任な時間もまたかけがえのないものなのだ。

 

東京駅を降りて外に出てみると、なるほどこれが東京か、と、感想とも言えない感想が湧いてきた。数十メートルの高層ビルが立ち並び、フロアの電灯が眩しく夜の街を照らしている。街灯などなくても、オフィスから漏れる光で十分歩けるのではないかと思われた。その光の下を歩く大勢の人々をみると、随分と立派な服装をしているように感じられた。男性は黒いコートをまっすぐに着こなし、泥などは一切付いていなさそうな黒い靴を凛々しく前に踏み出していたし、女性も色鮮やかなコートを着て、踵からは重厚感のあるコツンコツンという音を立てながら歩いていた。そんな中を安物の普段着で歩く自分は、少し場違いで取り残されているようにも思えた。もしかしたらみんな、自分が取り残されないように、あんな立派な服を着ているのか、それとも元々そういう趣味嗜好を持っている人々がこの街に溢れているのか、それはわからなかったが、とにかくこれが東京なんだという意味不明な感想を抱くことができた。

 

東京駅から少し歩いてみると、皇居外苑というところに着いた。ところどころに夜のライトアップがなされており、暗くなってからでも歩いてよい道なのだということがわかった。外堀が淡い光でライトアップされているのをみると、昼間とはまた違う意味付けがそこになされているように感じた。もし真っ暗闇の中、何もない平凡な壁に一箇所だけ光を当ててみれば、その壁は単なる壁ではなく、何か正当な理由があって光を当てられているような気がするに違いない。そんな意味深なライトアップの中を少し歩いてみると、遠くの高層ビル群の中に、一際光り輝く塔のようなものを見つけた。なるほど、あれが東京タワーか!この発見は素晴らしいものだった。東京タワーを実物で見たことがないのに、遠くからでもその存在をそれと認識することができるというのは、その存在感が確かに稀なものであることを示していた。遠くから見ると、高層ビルと同じ高さに見えたので、なんだ随分近い場所にあるんだなあと思ったけれど、いやいや、確か333メートルあったはずだ、ビルと同じ高さならビルが333メートルあることになるじゃないかと考え、実際には東京タワーはもっと向こうにあるに違いないと理解した。よし、数日のうちにあの東京タワーに行こう、と決意したけれども、おそらく間近で見る時には、今日ほどの楽しみはないだろうという気がした。今日は、かくれんぼしていた友達を思いがけず見つけたような感覚で、それはあっ、という高揚感と親近感に溢れていたし、事前情報でこの場所から見えるということも一切知らず、自分の目で初めて見ることができた特別な日だったからだ。

 

皇居外苑をまた歩きながら、こいつは東京も楽しめそうだぜ!と、明日からの何も予定のない日々に期待感を膨らませるのだった。

 

 

続く