財布に金をかけ過ぎて 財布に入れる金がない
竹のごとく根は強く持ち、節々は風に任せてしなやかに吹かるるべし。さすれば強情ゆえの骨折りも少なからん。
やる時の動機付けは一つだが、やらない時の言い訳はたくさんある。
一期一会の大勢の前で歩行信号を無視して足を踏み出すのは、講義室の質疑応答で誰もがうつむいているのに一人だけ手を挙げる時よりは随分気楽な行為に見える。
ほどけた靴紐を踏むのは大抵他人ではなく自分の足だ。
子育ては親が自らの死を子に見せることで完結する。
盗った奴が悪いのか?人が盗りたくなるような物を人前で見せびらかして誘惑する奴が悪いのか?
波止場で見知らぬ女の子が手を振って迎えてくれる船旅は豪華客船クルーズにはるかに勝る。
どうせまた腹が減るのになぜ飯を食うのか、という問いに対しては、今腹が減っているから、と答えるしかないだろうか。
泣いている子供にハンカチを渡すのが親の役目だろうか。それとも泣き枯れるのを待つのが親の役目だろうか。
一冊の本を一度読んだだけで済ませるくらいならば、いっそ読まない方が有意義な時間を過ごせる。
瞼を閉じても目は裏返らない。
腹が減っても戦はできる。ただ勝てないだけだ。
若い時分の失敗は、老後の酒の肴になる。
最も恥ずかしく無価値なのは、誰かを傷付けて人を笑わせることである。このような笑いしか生み出せない者は、他の誰かが人を笑わせる時、同じように生贄となっている。
前回の授業 ame-youkan.hatenablog.com <2限目> 「次はこんな漢字を覚えましょう。」 先生が黒板に字を書いた。前の授業で皆が勉強した「木」という字が二つ並んで書かれていた。 「この漢字を知ってる人!」 40人いるクラスメイトのうちの30人くらい…
流行に逆らう趣味嗜好を意識的に選ぶことは、決して少数派の選択ではなく、流行を理解できる多数派があえて人目を引こうとする他律的行為に過ぎない。
どんな名画も無地のキャンバスから生まれている。
「年取って金なくなったら野垂れ死にするからええねん」と将来への準備のなさを勇気ある行動であるかのように自信満々に吹聴する者は、実際に年寄りになって金がなくなった時、賢明に備えてきた者達にすがりついて周囲にすさまじい損害を与える上に、案外誰…
普通のことが出来ないのではなく、普通のことも出来ないのだ。
ギャンブル好きの休日は、朝食は早め、昼食はおやつ時、夕食は寝る直前である。
出不精は雨の日に安心感を覚える。
釣り人は晴れ晴れした青い空や澄んだ水平線には目もくれず、汚れた手元やゴミの浮く足元の海面ばかり眺める。
「病は気から」が真であれば、健康を気に病む者は呑気な者よりも病気にかかりやすいことになる。
金を無心することに慣れた者は、借りる時は不自然なほどにへりくだり、返す時は驚くほど傲慢である。
加工された女の美しさは、男には幻滅され、女には称賛される。
臆病者は、自分がいじめられる前に誰かをいじめる。
安売りの品すら買わなければ、さらに安上がりである。
エンジンをかけたりアクセルを踏み込むことは誰でもできるが、穏やかにブレーキをかけることは容易なことではない。
靴の下から靴下を履く者はいない。