政治家のせいにする
日本は間接民主制を採用しており、政治は国民の代表者として選ばれた政治家によって行われている。
国を代表してほしいと思える候補者や党派に投票し、出来る限り国民の意思を反映した政治をしてほしいと国民は願っている。
そんな思いで国民は投票するが、その後はいつも以下のような文句が飛び交う。
「国会議員はけしからん。会議中に平気で居眠りしやがって・・・。」
「だれのおかげで飯が食えてると思ってるんだ!」
「誰に投票しても同じ。結局は多数派のための政治になる。」
こんな愚痴がため息混じりに聞こえてくる。
併せて日本の将来を危ぶむ声も聞こえてきそうだ。
「こんな政治家連中で日本はこの先どうなるんだ。」
「不景気なのは政治家が何も策を講じないからだ。」
「何もかも政治家が悪い。」
これではお先真っ暗な国に思えるかもしれない。
しかし、こんな声が大きく聞こえるうちは、実はその国はまだまだ安泰なのである。
本当に国の存亡が危うい時というのは、国民一人ひとりに政治的な決定権が委ねられた時である。
政治家が国民の代表者として意思決定する場合、国民は直接にはその決定に関与しない図式となる。代表者として選んでいる以上関与はしているのだが、その認識は薄い。
当該政治家の意思決定により、自分にとって何かしらの不利益が発生した場合、その人はひとまず政治家のせいにすることができる。
何せその不利益は自分の意思決定によるのでなく、他人である政治家の決定により被ったと思えるからだ。
ここでの対立は、「国民対政治家」の図式となる。
政治家は、「政治家のせいにする」国民の不平不満の声を、常に浴び続ける仕事なのである。
ではこの意思決定が政治家によらず、国民自身によって行われる場合はどうだろう。
この場合、国民は政治家のせいにすることができなくなり、対立は「国民対国民」の図式となる。
今までは政治家のせいにすることである種のまとまりを保っていた国民集団は、ここにきて少なくとも2つ以上のグループに分断されてしまう。
結果として国はまとまりを維持できなくなり、その先はまさにお先真っ暗という状況となる。
「国民の意思を尊重しろ!」と耳障りのいいスローガンはよく掲げられるが、国民の意思を最大限に尊重しようとすれば、最悪の分断に陥る危険性をも孕んでいるのだ。
政治家によらない国民による政治的意思決定は、他に打つ手がないときの究極の最終手段といえる。
「政治家のせいにする」国民が、毎日元気でいられる政治が理想的なのである。