雀の涙
『雀の涙』という言葉は、一般的には消極的な意味で使われている。
「これだけ頑張って働いて、雀の涙ほどの給料しかもらえないなんて・・・」
期待していたよりも得たものが少ないと思えるとき、『雀の涙』という言葉を使うようである。
小さな雀が落とす、小さな小さな一粒の涙。
私は実際に雀が落とす涙を見たことはない。誰か見たことのある人はいるだろうか。
私たちが普段見ることのできない時間に、誰にも見えない隠された場所で、ひっそりと泣いているのではないだろうか。
小さいころ、母からお小遣いをもらった。小学一年生のころは確か、一ヶ月で100円もらえていた。私はあまりお金を使う子供ではなかったので、その100円たちは大事に貯金箱にしまわれた。
一年経てば1200円。一年生の頃に一年で貯められたお金はそんなところだろう。
今思えばまさに『雀の涙』ほどの貯金。だけれど、当時の自分にとって、1000円を越えるお金を持っているということは、とても大きな出来事だったように思える。貯金箱をジャラジャラ鳴らして、100円たちがシャンシャン音を鳴らすのを大事に聞いていた気がする。
そんな『雀の涙』ほどのお金を、毎月忘れずに渡してくれた母。
今おぼろげな記憶を振り返ってみると、私と母にとって、100円は小さなお金ではなかったような気がする。
あのころの100円は、確かに私と母との間で特別に扱われていた。毎月大事に渡してくれる母と、毎月大事に受け取る私。そこにはとても穏やかな空気が流れていたような気がする。
むしろ『雀の涙』ほどのお金だからこそ、とても大切なものに感じていたのかもしれない。
一枚一枚の100円を、大事に一粒一粒貯金箱に入れてあげた。
今私が毎月受け取るお金は、小学一年生の頃とは桁違いの額である。それでも、あの頃母が私に渡してくれた『雀の涙』ほどの100円には遠く及ばない。