思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

使い込まれた古本

誰の手垢もついていない新品の本と、誰かが読んだ後に売られる古本とがある。

大型の書店に行けば大抵の場合、新品の本が置かれている。

 

まだ誰にも読まれておらず、手垢もついていない綺麗な新品の本を手に取ると、新鮮な気持ちで心が躍る。開かれ慣れていないページがお互いに張り付いて、パラパラとめくれない感触にはワクワクする。ずっと大事にして、綺麗なまま手元に置いておきたいと思う。

 

それに対して古本は、すでに誰かによって使い込まれた後であり、清潔さや新鮮さという点では新品の本に勝る点がない。

何の液体によって生まれたのかわからない不可解な謎の染みや、おそらくスナック菓子でも食べながら読んでいたのであろうことが推察される食べかすが、ページとページの間に挟まっていたりする。

めくりすぎたせいか、特定の数十ページに及ぶ小口にやたらと手垢が染み付いていたり、得体の知れない小さな虫が平らになってページと一体化していたりもする。

 

 

上に書いたように、全体としては古本のマイナスイメージは強いが、それでも私は古本が大好きなのである。

とりわけお気に入りの古本は、前の持ち主か、はたまたその前の持ち主かが残してくれた、「書き込み」が残る本である。

 

 

今本棚から2冊の古本を取り出してめくってみると、その中に色々と書き込みがあった。

序盤の数十ページだけ、やたらにたくさん傍線が引かれている。もしかしたら文学部あたりの学生が、レポートのために使えそうな言葉をつなぎ合わせようとして線を引いたのかもしれない。

もう一方の本では、外国人名の登場人物がわかりづらかったのか、人物の名前が出る度に丸印をつけたり、マーカーを引いたりしている。そして手ごたえを感じる部分があったのか、もしくは読んだことの印としてか、チェックマークが数ページ毎に入っている。

ここに挙げた本たちは、残念ながら最後のページまでは書き込みが続いていない。いずれも序盤の3分の1程度のところで終わっている。

 

つまらなくなって読むのをやめてしまったのだろうか。

辛くなって挫折してしまったのだろうか。

それとも、なにも書き込む必要もないくらいにスイスイ読めるようになって、最後のページまでたどり着いたのだろうか。

 

いずれにしても、こんな本を売ってしまうのはなんてもったいないんだろうと思う。

自分で線を引いたりして、やっと自分オリジナルの本になってきたのに、それを手放すなんてもったいない。

使い込まれて残った書き込みは、まさに読んだ人と本との対話の跡であり、その人の歴史や思い出と言ってもいいくらいに貴重な宝だと感じる。

そんなお宝を、何も書き込まれていない新品の本よりもはるかに安い額で手に入れてしまい、少し罪悪感を感じるほどだ。

先人たちの書き込みからさらに先のページに進み、しっかり最後のページまで読み終えることができると、「読みました!」とその人たちに報告したくなる。

 

 

私にとっては、新品の本よりも使い込まれた古本の方が、はるかに価値と愛着を感じるのである。

 

 

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