酒の席での餌探し
飲み会などの酒の席では、誰もが「餌」を探している。
ここで言う「餌」とは、文字通りの意味と比喩的な意味を含んでいる。
それほど友好的な関係ではなく、かといってその後の人間関係を考えるとあだおろそかにはできない場では、餌探しの傾向はとりわけ顕著に現れる。
この記事では上述の二つの「餌」について簡単に見ていくことにする。
状況設定として、嫌々参加する職場の飲み会を想定することにしよう。
また前提として、この飲み会における全ての参加者は、誰もが沈黙による静寂を恐れているものとする。
それでは冒頭で述べた、二つの意味における「餌」についてそれぞれ見ていこう。
第一に、文字通りの意味の餌とは、テーブルの上に続々と並べられる飲み物および食べ物のことである。
ビールや日本酒、なんこつにからあげなど、その種類は多岐に及び、制限時間いっぱいを使ってもすべてをしゃぶりつくすことは難しいほどである。
これらの餌が目の前にあるだけで、飲み会というイベントはひとまず進行される。飲み会の名の下、飲んだり食べたりするために集まっているのだから、その目的は果たされる。
誰かがこの餌を切らしていたり、まもなく切らしそうであることを察すると、即座に次の餌を調達し、餌と餌との間に空白期間を置かせないようにする。
ともかく文字通りの「餌」があれば、たとえ沈黙が襲ってこようとも、手持ち無沙汰になることはないのである。また、何かしらの餌を噛みしめている間は、食べている当人の口内では盛大なパーティーが繰り広げられているのであるから、少なくともその限りにおいて沈黙は訪れない。
第二に、比喩的な意味での餌とは、誰かがもたらしてくれる場繋ぎの話題のことである。
誰の噂話でも構わない。会社の今後のあるかどうかもわからない展望のことでも構わない。誰も興味を持っておらず、普段の業務の中ではほぼ誰も口を利かない不人気な社員の趣味の話でも構わない。
とにかく誰かが拾い、誰かが広げうる話題であればなんでもいいのだ。
ここで拾い上げられる場繋ぎの話題は、日々テレビやネットで流されるワイドショー的なニュースよりもはるかに無様に消費される。
そこでは情報の内容如何はほとんど評価されず、ともかく話題が存在するということが重要なのである。
この餌を食い終えるか食い散らかしてもう食べるところもなくなってくると、まだ餌を持っている方へ視線を投げる。その視線たるや、「助かった!」とでも言いそうな、やや安心の色を浮かべている。
沈黙による静寂を恐れる参加者にとっては、文字通りの飲み物や食べ物などの餌よりも、場繋ぎの餌の方が重宝すべき代物である。
非常に簡単にではあるが、酒の席における二つの「餌」について概観した。
退屈な飲み会に付き合わされた時は、参加者がどのように餌を探しているか、その様子を観察して時間を潰すのも悪くない。