近所の銭湯
近所に老夫婦が営む昔ながらの銭湯があり、週一回はお世話になっている。
玄関は開けっ放しで、外から男湯と女湯の入り口が見える。入り口の仕切りは曇りガラスになっているのだが、気合いを入れて目を凝らせば、男女どちらの脱衣場も透けてしまいそうなほどにガードの甘いガラスである。
老夫婦が番台を交代でしており、その番台は男女の脱衣場のちょうど境目にある。つまりここに座れば、どちらの着替えシーンもバッチリ確認できるというわけである。
老夫婦は容赦なく脱衣場にやってきて椅子に腰掛け、タバコをふかしながらテレビを見る。まるで自分の部屋のように伸び伸びと優雅な時間を過ごしている。
熱い湯に浸かって火照った体を休めながら、常連客が老夫婦に日頃の悩みを打ち明ける。
仕事の辛さを愚痴る者には、老夫婦はこんな言葉を返す。
「みんな大変よ」
「今はどこもそうよ」
男女の悩みを打ち明けるものには、こんな言葉で慰める。
「男はそういう生き物よ」
「女はそういうとこあるよ」
この銭湯に来る客は体の垢だけでなく、心の垢も落として帰るようである。
銭湯という場所は不思議である。ここでは誰もが裸でいることが当たり前で、日常とは隔離された空間が広がっている。
気兼ねなく裸でいられる環境が、そこにいる者の心まで打ち解けさせるのかもしれない。
私は未だに老夫婦によるカウンセリングを受けたことはないが、近くで話を聞いているだけでも何か居心地がいい。
タバコの吸いすぎでしゃがれた老夫婦の声が妙に耳障りがいい。
いい歳をした客が、まるで子どもが自分のおじいちゃんおばあちゃんに昔話をねだるように、甘えた話し方をする。
体の調子はどうかとか、客の減り具合はどうかとか、老夫婦を労わる常連客の声が聞こえる。
一日の終わりにこの銭湯を訪れると、心も体も一段落ついたような気がして、帰れば安らかに眠りにつくことができる。