思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

しらない人にもあいさつしよう そしてそのままさよならしよう

小学校の校区の一画には、「しらない人にもあいさつしよう」という立て看板が置かれていることがある。
どんな人とも挨拶をして、地域の人々との繋がりを大切にしようというわけである。物怖じせずにコミュニケーションを取れる子供を町ぐるみで育てたいのである。

 

この立て看板から少し歩くと、今度は別の一画に、「しらない人にはついていかない!」という看板も立てられていたりする。
本当かどうかは知らないが、最近は怪しい大人が増えており、小さな子どもに声をかけて悪さをする事件が多いらしい。そんな危険から子どもを守るための看板のようである。一緒に遊んでくれたり、面白そうな大人には子どもはついて行きたくなるものである。そんな好青年を装った変態が多数出没するのだろうか。

 

この二つの看板に書かれた言葉は、明らかに矛盾する行動を子どもに要求している。


自分から挨拶するということは、相手への積極的な働きかけであり、相互のコミュニケーションを期待するものである。
一方通行の挨拶ほど虚しいものはない。挨拶する側は、得てして相手からのお返しを想定しているもので、それがないと相手に軽んじられたように感じ、不快な気持ちになったりする。
相手が挨拶を返してくれれば、そこから話が発展して仲良くなり、もしかしたら一生涯の友となるかもしれない。
挨拶という行為は、その結果として相手と親密な関係を作る可能性を秘めているわけである。

 

ところが「しらない人にはついていかない!」という看板を立てられると、この挨拶は躊躇せざるを得なくなる。
先述の通り、挨拶はその後の関係の親密化を秘めているものである。つまり、知らない人との間でも親密な関係が生まれる可能性があり、結果として大人が危惧する例の事件へと発展するかもしれないのである。
犬の散歩をしているおじさんに挨拶をして、「おじさんの家には子犬がたくさんいるんだよ」などと言われたら、犬好きの子供ならばついて行きたくなるのが自然だろう。 

 

要するに、知らない人についていかないための第一歩は、知らない人に挨拶しないことなのである。

 

しかしそれでは先生達が黙っていない。挨拶は子供の正しい教育には不可欠なものだと反論されるだろう。それでは次のような立て看板はどうだろう。

 

「しらない人にもあいさつしよう  そしてそのままさよならしよう」

 

この立て看板なら、まずこれまで通り子どもに挨拶を推奨することができる。そして挨拶をすることによって知らない人と親密になってしまう危険性を、「そのままさよなら」させることで見事に回避できるのである。
この看板の良いところは、出会いの最初の挨拶に加え、「さよなら」という別れの挨拶も追加することができ、より一層子どもに挨拶の機会を与えることができる点である。
下のように間髪入れずに別れを告げて通り過ぎれば、犬の散歩をしている知らないおじさんと親密になる恐れなど皆無である。

 

「おはようございます!」

「おはよう。この子ね、太郎っていうんだよ。」

「そうですか、さよなら!」