思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

老師との対話「砂つぶ」

若者

老師さま、私には悩みがあるのです。

 

老師

何でも話してくれたまえ。年寄りの一番の楽しみは、若い人の話し相手になることなのだから。

 

若者

ありがとうございます。最近特に思うことがあるのです。それは、私は結局何者にもなれないのではないか、ということです。

 

老師

若い人なら必ず持つ悩みだよ。特に君のような若い男ならばね。

 

若者

私は今、会社に雇用されています。いわゆるサラリーマンというやつで、日本人の大多数と同じ働き方をしているわけです。

将来的にはこの会社組織から抜け出して、自分の手で稼げるようになりたいと思っておりまして、今色々と努力しているところなんです。

ところが最近、会社の先輩方を見ていると、そんな夢も所詮はたわごとで、どの道叶わないもののように思えてくるのです。

というのも、あの人達も以前は私みたいに会社からの独立を夢見て、気の置けない友人と交わす酒の席でその展望などを雄弁に語ったりしていたようですが、結局はこの組織に長いこと留まり、それなりの歳で結婚して子供を作り、在籍期間に比例して強くなるしがらみや責任によって、全く身動きが取れなくなってしまっているのです。

そんな先輩達を見ていると、結局自分も同じ道を辿り、今思い描いている夢も子供じみた空想のままで終わるのではないかと思えてしまい、怖いのです。

 

老師

先輩達と自分の夢を見比べて、心配しているようだね。

具体的な助言というのは難しいものだが、少し気持ちを楽にして考えてみてはどうだろうか。私としては、砂つぶのように生きる、という選択肢も決して悪いものではないと思うのだ。

 

若者

砂つぶのように生きる、とはどういうことでしょうか?

 

老師

それはつまり、この人生というものを一つの川の流れのように捉えて、その流れに逆らわず、共に生きていくということだ。

私が考えるに、一人一人のそれぞれの命とは、この川を流れゆく一つ一つの石なのだ。

君もこの人生という川を流れゆく、一つの石だ。今その石はほとんど傷もなく、これから如何様にも変わりうる綺麗なものだ。

君はこの石を出来る限り大きくしようとしている。大きな石は川の流れにも容易に従わず、頑としてそこにじっとしていることができる。その姿は堂々としていて、見る者の目にもよく留まる。そんな石を君は目指している。

君の周りには、君よりも小さく見える石がたくさんある。その形は少し歪でたくさんの傷がついていて、君にはそんな石は取るに足りないつまらないものに見えている。しかしそういう小さな石たちも、最初は君と同じくらいの大きさだったのだ。

この川の中には実にたくさんの石がある。皆が同じ方向に流れていくものだから、当然お互いに体がぶつかり合う。ぶつかる部分は削り取られ、徐々にその石の面積自体も削られ小さくなっていく。このようにして、石は小さくなっていくのが常なのだ。

君の会社の先輩達も、もとは君のように大きな石となることを夢見ていた。しかしこの川の流れに従っているうちに、その他多数の石と同じように削り取られ、小さくなっていったのだ。

歳を取れば取るほど、周りの石とぶつかる回数も計り知れず多くなり、この石はより小さくなっていく。そして最後にはごく小さな砂つぶとなるだろう。

君が先輩達と同様にして自然に身を任せるとするならば、君の石はこのとめどなく流れゆく川の中を、ごく小さな砂つぶとなって転がり、最後はどの砂も行き着く河口に辿り着き、静かに川底にその身を横たえ、誰にも知られることもなく、誰にも顧みられることもなく、悠久の時を過ごすことだろう。

 

若者

私にそんな一生を送れとおっしゃるのでしょうか?みじめな砂つぶとなるだけだなんて、生まれてきた意味がありません。私は未来に名を残すような、大きな石になりたいのです。

 

老師

何も大きな石となることを否定しているわけではないよ。ただ、そのためには尋常ではない意志の力が必要になる、ということだ。

多くの石は、最初の志を貫いて大きな石であろうとすると、より頻繁に周りの石と体をぶつけてしまうことに気づくのだ。そしてより快くこの川を流れていくには、自分の石を周りに合わせて小さくするのが得策であることを知り、むしろ自ら望んでその石を小さくしていくのだ。君の会社の先輩達も同じようにしてね。

それを良しとしないならば、君は私なんかと話している時間も惜しまなければならない。今この瞬間も君の石は川を流れ、知らぬうちに小さくなろうとしているのだからね。

 

若者

老師さまは、私が砂つぶのように生きることを望んでおられるのですか?

 

老師

そういうわけではない。ただ、砂つぶのように生きることが、必ずしも悪いことではないということだけ知っておいてほしかったのだ。

 

若者

砂つぶとして生きることのどこに良い点があるのですか?

 

老師

小さな砂つぶであれば、自分を転がすために周りに負担をかける心配がほとんどない、ということだ。それは周りの石の合間を縫って、すりぬけるようにしてしなやかに流れていくだろうからね。

そして最後の河口にまで辿り着いた砂つぶは、他の砂つぶと同じ場所に留まり、新たに流れてくる砂つぶを優しく迎えるのだ。

ここで積み重なった砂つぶは、寄り集まって新たな一つの石となり、別の川を流れていくだろう。そしてその新たな石も、いずれは小さな砂つぶとなり、他の砂つぶを優しく迎えるだろう。

 

若者

では老師さまも砂つぶなのですか?歳を重ねるほどに石が小さくなるとするならば。

 

老師

そうだね。私などは、もはや砂つぶとも言えないくらいに小さくなってしまって、ほとんど川と一体になっているのだよ。しかしだからこそ、あらゆる人と対話したり風景を見たりしながら、ゆったりとこの川の流れを楽しむことができているのだがね。

 

若者

私はまだ砂つぶになりたくはありません。そしてこれからも、大きな石を目指して努力を続けていくつもりです。

 

老師

それでいいのだよ。何事も取り掛かるのに適切な時期というものがあって、大きな石を作るのに適した時期や、またその志が最も燃え立つ時期というものがあるのだからね。だから君は、思う存分夢に向かって進まなければならない。

そして希望通りの大きな石になれたらそれでよし、もしなれなくとも、砂つぶとして生きていくことも何ら辛いことではないということは、心の片隅にでも置いておいてほしいのだ。

 

若者

ありがとうございます。時間を惜しんで取り組むことにします。またお話をさせてください。この時間は私にとって何にも代えがたいものなのですから。

 

老師

私の方こそ、次に会える日を楽しみにしているよ。それでは大きな石を目指して、日々努力してくれ。それではまた。