老師との対話「種蒔き①」
老師
おはよう。こんな朝早くに呼び起こして申し訳ないと思っているんだが、取り急ぎどうしても君の意見を聞きたくなったのだ。今すぐでなければ、私の考えが頭からするりと逃げ出してしまいそうなのだ。
若者
おはようございます。珍しいこともあるものですね、いつもなら僕の方から老師さまをお呼び出しするところなのですが。これから出勤なので、できれば手短にお願いしますね。
老師
年甲斐もなくはしゃいですまないが、では早速君に尋ねよう。
一体、教育というものは、全ての人が受けるべきものなのだろうか?それとも、受けるに値する人のみがそれを受けるべきであり、それに値しない人は受けるべきではないものなのだろうか?
若者
これはまた朝から大きな問題を取り上げてくださいましたね。なぜそのようなことを問題にされるのですか?
老師
というのも、今朝ちょうど目が覚める前の夢うつつの時に、種蒔きをする人が私の夢に現れたからだ。
若者
種蒔きと教育との間にどんな関係があるのでしょう?
老師
夢に現れた種蒔き人は二人いた。一人は大変眼力のある種蒔き人で、どのような土地に種を蒔けば最も実りを得ることが出来るのか、間違いなく判断できる人であった。その人が種を蒔いたところ、その土地からは溢れんばかりの作物が収穫され、多くの実りをもたらした。
もう一人の種蒔き人は、先程の種蒔き人とは正反対とも言うべき人で、眼力というものを持たず、空いている土地があれば見境なく種を蒔くような人だった。当然そんな蒔き方では十分な収穫は期待できないばかりでなく、あの手でこの手で何とかその土地から収穫を得ようと無駄な骨折りをするものだから、状況はなお悪くなるばかりであった。
今朝見た夢というのはこのようなもので、これ以上大げさなものは何もなかったのだ。
さてそれでは君に尋ねるが、先程の二人の種蒔き人について、君はどちらをより優れた種蒔き人とみなすだろうか?
眼力を持ち優れた土地から多くの実りを得る人だろうか、それとも眼力を持たずに痩せた土地に無為に種を蒔き、結局何の実りも得られない人だろうか?
若者
もちろん眼力のある種蒔き人です。
老師
私もそう思うよ。
ところで、この二人の種蒔き人の姿を振り返って考えると、それはまさしく教育を施す人の姿に似ていると私は感じたのだ。
若者
詳しくお聞かせください。
老師
私が思うに、種蒔き人は教育を施す人であり、種を蒔かれる土地は教育を受ける人なのだ。
今朝の夢に当てはめると、眼力のある優れた教育者は優れた者にのみ教育を施して未来に良い宝を残し、眼力のない劣った教育者は劣った者にのみ教育を施し、結果として何の成果もあげることができないのだ。
そして先ほど君は、眼力のある種蒔き人がより優れていると答えたわけだが、その答えを教育の問題にも適用して、優れた者にのみ教育を施して成果をあげる人を、より優れた教育者であると考えるだろうか?
若者
これは興味深い問題ですね。確かに種蒔き人に関しては眼力ある人をより優れた人として考えましたが、こと教育の問題ともなると、そのまま当てはめることは出来ないと思います。
現代の教育状況を考えるならば、優れた人にのみ教育を施すというような限定的な取り組みは、そもそも実現不可能と言えます。我が国の憲法を見ても、誰もが等しく教育を受ける権利を有すると書かれているのですから、これはもはや覆すことなどできないでしょう。
それにわたし自身、もし憲法にそのような規定がなかったとしても、教育を受けるべき者と受けざるべき者を分けるなどということは、道徳的にもふさわしいものではないと考えます。
そして老師さまは教育者と種蒔き人の評価を関連付けられたわけですが、そもそもその評価自体に、抜け落ちている重大な点があります。