思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

ハンカチの玉座

一人住まいの女がベランダから顔を出すと、目線の下に、見慣れた工場のトタン屋根を確認することができた。元々灰色だったトタンが錆びついて茶色になったのか、錆びついたトタンを上から灰色に塗ったのか、それも判別できないほどに茶色と灰色が入り混じり、マダラ模様を形成していた。トタンの一部が、台風の日に石でも当たったのか、へこんで一層黒ずんで見えた。この風景は女にとって見慣れたもので、ただ一点を除いては、その意識に食い入るものは何もなかった。

ピンクのハンカチが、その手足を伸び伸びと広げかねた様子で、トタン屋根の上に寝そべっていた。その寝そべり方は、まるで工場を一足で跨げるほどの巨人が、手からフワリと屋根の上にそれを置き、立ち去る間際、ふとハンカチのことを気にかけて、ハンカチの全身のちょうど真ん中あたりをつまんで少し持ち上げ、いい具合であることに満足し、そのまま立ち去ったのではないかと、女に連想させるものだった。

ハンカチは実に手入れされているように見え、ベランダからは一点の汚れも見出せなかった。その四隅の手足のあたりには、どれも熊の刺繍がしてあるようだった。女はしばらくこのピンクのハンカチを見つめ、トタン屋根の荒廃感との対照に違和感を覚えるとともに、一方が一方を引き立たせる主従のような関係性をも見出していた。女は急に、その日がたまの休日であることを思い出し、ベランダから引き返した。

翌日、女が再びベランダから顔を出すと、昨日見たピンクのハンカチが、同じトタン屋根の上に留まっていた。昨日よりもずり落ちていて、屋根の一部黒ずんでいる場所と並んで寝そべっていた。その全身も、いくらか埃をかぶり、少しばかり汚れたものに見えた。

翌日、ハンカチが黒ずんだ場所よりも大きく下に降りてきており、屋根の軒の部分に寝そべっていたのを見て、女は少しひやひやした。その全身も、もしかしたら屋根の黒ずみを吸い込んでしまったのではないかと思われるほどに黒くなっていた。

翌日、ハンカチが屋根から姿を消していた。女はドキッとし、上半身をベランダから乗り出して下を見た。ハンカチは、屋根のすぐ下の地面に倒れていた。女はベランダから急いで部屋に引き返し、寝間着のままスリッパを履き、外に出て工場の裏手に向かった。工場を囲む塀があったが、周りに誰もいないことを確認すると、女は塀をよじ登って中に降り立った。黒ずんだハンカチを発見した。女はそれを拾い上げると、急いで塀をよじ登り、自分の部屋に走っていった。

女は風呂場に行き、洗剤で入念に洗い始めた。四隅の黒熊が、徐々に茶熊に戻っていった。黒ずみによって隠されていたピンクの肌も、女が手を動かすたびに本来の明るい血色を取り戻していった。

翌日、女はハンカチを綺麗に折りたたみ、薄い茶色の机の上に置いた。ハンカチ以外の全てのものを机の上から追い出した。

女はしばらくハンカチを眺めていた。ここ数日間、茶色と灰色で荒れ果てたトタン屋根でだらしなく寝そべっていたハンカチが、その姿をガラリと変え、おしとやかで理想的なお嬢さんのように礼儀正しくちょこんと座っていた。女は身体の内側から湧き起こってくるような、何とも言えないむず痒さを感じて身震いした。

女はハンカチを手に取り、ベランダに行って顔を出し、工場のトタン屋根を眺めた。いつも通りの茶色と灰色のマダラ模様に、一点の黒ずみがあるだけだった。女はハンカチを、屋根の黒ずみに向かって放り投げた。ハンカチはひらひらと宙を舞い、トタン屋根の黒ずみよりも少し上、ちょうど初めて女がハンカチを見つけた時とほとんど同じ場所に落ちた。女の心臓のむず痒さはほとんど収まり、胸には安堵感が広がった。少し残ったむず痒さは、屋根の上のハンカチの寝そべり方が気に入らないことによるものだった。女は心の中で、今日自分が寝静まった後にでもまた例の巨人が現れて、ピンクのハンカチの真ん中あたりを少しつまんでくれたらと願うのだった。