思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

休み時間「ドッヂボール」

小学生が持つ休み時間への熱意というものは、実に驚嘆すべきものである。定時退社の瞬間に人生の楽しみと優越感を凝縮させる大人でも、あれほどの疾走感と勢いを持ってチャイムと同時に走り出すことはできない。大人であれば諸々の事情により、たとえ定時で速やかに帰ることができる日であっても、あえて道草を食ってのろのろと帰る者もいるくらいであるが、小学生にはそのような面倒な事情は一切ない。その過ごし方は様々あれど、休み時間とはすべての小学生に約束された、誰にとっても間違いなく幸せで楽しい時間なのである。

休み時間のチャイムが鳴ると、一番乗りで教室のロッカーからボールを取り出す男子がいる。この役目を果たす男子は大抵どのクラスでも自然の序列により決まっており、彼によって同胞が招集される。時間は有限なので、毎回毎回その場で呼び寄せるわけではなく、チャイムと同時に教室を飛び出し、グラウンドに集まった者を同胞とみなす場合も多い。

 

ボールを使った休み時間の遊びと言えば、私の記憶によればドッヂボールが最も人気だった。このチーム分けは興味深い。「いーるか、いらんか、いんじゃんほい」との形式的な合図と共にじゃんけんが始まり、リーダー格の男子が自分のチームに必要な人材を選別するのである。当然、すぐに指名される栄誉に浴する者もいれば、最後の最後に嫌々ながら引き取られていく者もいる。今思えば非常に残酷な選別方法であるが、これは大人社会の人事においても同様に見られるものである。まず一番に欲しい人材を求め、中間層や下位層の人材は後回しになる。もっとも実際の人事では、最初に上位層、次に下位層、最後に中間層の人員配置を決めることも多い。中間層よりも下位層を優先する理由は、その人材を配置しても大勢に影響がなさそうな場所を確保するためである。このあたりは政治的な問題を多く孕んでいるため、単純に身体能力の評価順に選別される小学生のチーム決めではお目にかかれないものである。

 

グラウンドに有志が集まると、まず戦いの舞台作りが迅速に行われる。靴のつま先か踵を使い、皆で一列になって片足を引きずりながら、歩いてコートを描く。もっとも、ドッヂボールにおあつらえ向きの場所はいつもグラウンドの定位置であることも多く、前日に描いた跡をほぼそのまま使用することもある。

最初にゴロ、つまりはボールの転がしからスタートする。もちろんこのゴロに当たっても外野行きである。ふざけてこのゴロをギリギリでかわすことにドッヂボールの楽しみを見出す者もいるが、あまりにギリギリを狙いすぎて服の裾をボールがかすめてしまい、アウトだセーフだと言い合う一悶着が起こったりもする。

顔か頭でボールを受ければ顔面セーフという特例が適用され、内野に留まることができる。この特例を自ら積極的に求め、問題なく手で受け止められるようなボールでも頭で受けようとする者もいるが、そのような決め打ちでは足元がお留守になり、下半身を狙われて終わりである。しかし、自分に向かって敬礼するようにして頭を差し出す相手に対し、その実直さを評価して頭に強烈な一撃を与えてやるか、あくまでチームへの貢献を第一に考えて下半身を狙うかという問題は、ボールを投げる者のその後の人生に何かしらの影響を与えないものでもなさそうである。

内野でどこに陣取るかという問題も、一つの解が出せないものである。隅っこで縮こまるべきか、堂々と真ん中に立っているか、多くはこの二択である。時々、常にコート内を走り回って相手を撹乱しようとする者もいる。大抵の場合、その身体能力によって陣取る場所は自ずと決まるようである。あまり運動神経の良くない者は隅っこへ、ボールを難なく受け止められるものは堂々と真ん中にいる。

内野と外野の連携には議論の余地がある。ドッヂボールのコートは長方形であり、その真ん中を区切ってチームの境とするが、私の小学校では外野は外から回りこんでこの境まで来ることができた。こうなると内野と外野ははすかいに隣接した状態になり、いくらでも近場でパス回しによる遅延行為が可能となる。この遅延行為は、休み時間の終盤には有効だが、大抵顰蹙を買い、次回の戦いには招集されない恐れがある。私としては、外野はチームの境まで来るべきでなく、あくまで相手チームの向こう側で大人しくしているべきだと思う。外野が相手チームの外周三方向を囲むことができるほどの戦力的優位性を持っている限り、自ら進んでボールに当たって外野に出ようとする者が出てくるからである。それがまかり通れば、ドッヂボールが本来持つゲーム性、つまり「自分は上手くボールを避けたり受けたりしながら、相手をアウトにする」という根幹を揺るがす恐れがあるのである。

休み時間のチャイムが鳴ると、たとえ戦いの途中であっても、皆が一目散に教室に向かって走り出す。この時、下駄箱に向かうまでの間は、ボールの押し付け合いの時間となる。手にボールを持っている者は、他の誰かに当てることができれば、ボールを持ち帰る仕事をその相手に押し付けることができるのである。この押し付けもうまくいけばいいが、もしボールを投げて外してしまい、グラウンドの遠くまで飛んでいってしまったら悲惨である。仕事を誰にも押し付けられないばかりでなく、遠くまで自分で取りに行き、しかも教室には遅れて到着するので先生に怒られる恐れもあるのである。

 

今思い出しても、小学生の休み時間とは実に夢のような時間だった。今日のように素晴らしく晴れた日には、あの頃に戻って皆とドッヂボールをしたくなる。