思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

とある史学科教授の挨拶

20○○年4月○日  某大学にて

 

皆さんこんにちは、ご入学おめでとうございます。私は史学科で主に西洋史を研究しとります●●です。皆さんどうぞよろしくお願いします。

僕は皆さんが史学科に入ってくれてすごく嬉しいです。だって皆さんは、僕が愛してやまない史学っちゅう学問の世界に入ってきてくれた、仲間なんですからね。

皆さんは高校でたくさん勉強されたでしょ。歴史で出てくる地名とか人名とか年号とか、ひたすら暗記して覚えてくれたんじゃないでしょうか。それは本当にありがたい。何でありがたいかっちゅうと、そういう地名とか人名とか年号とかは、これから史学を研究していくための、そうですな、言うたらひらがなみたいなもんだからです。皆さんもひらがな覚えたての頃は、よくお父さんお母さんに自慢したんとちゃいますかな。でも皆さんはもう大学生。ひらがな覚えて自慢しとるわけにもいかんです。それは高校生までで終わり。これまでに覚えたことを駆使して、これからは学問の世界に入ってください。

学問という言葉を使いましたが、この言葉は文字通り、学んで問うということです。学ぶのはそれほど難しくありません。皆さんも高校までの間に学ぶことの習慣化はされてきとるでしょうから、今更言うことはないです。でも問うということに関しては、これからは意識してもらわにゃなりません。ただ問うだけじゃない、学んだ後に問うっちゅうことです。何も学ばずに、あれは何だろう、これは何だろう、と空っぽの頭で自問自答するのは、言っちゃ悪いですが阿呆のすることです。まずは学んでください。その後に、今学んだことは果たして真実なんだろうか、もっと見極めればさらなる真実の姿があるんじゃないだろうか、と問い続けてください。それが学問です。皆さんがこれからするのは勉強じゃないです。学問です。これを絶対に忘れないでください。

そんで、史学っちゅうもんは何なのかっちゅうことなんですけど、これは人間そのものを研究する学問である、と僕の口からは言わせてもらいます。大袈裟に聞こえるかもしれませんけど、僕は本気でそう思っとります。昔のことなんかどうでもいいと考えてしまう人は、きっと若い人たちには多いでしょ。風習とか習わしとか爺さん婆さんの昔語りとか、うざったく感じてしまうかもしれません。でもそういううざったい世界の中にこそ、実は人間が一番知るべきことが隠されとります。つまり、人間とは何か、っちゅうことです。皆さんは高校までの歴史の勉強で、政治とか事件とかの中で、特に著名な人たちばかりを見てきたでしょ。 それももちろん大切です。大きな世界の動きを知ることは大事です。でも、本当に皆さんが見ないといけない歴史というのは、もっと身近な、ミクロの世界です。今大学横の交差点で信号待ちをしてる人たち、あの人たちは歴史人物なんです。今日も工場で昨日おとといと同じ工程で作業してる人たち、あの人たちも歴史人物なんです。ただ教科書には載らないだけです。人間が関わるあらゆる物事には、全て人間の行動の跡が、エキスが残っています。そのエキスは、よくよく目を凝らせば、日常のいたるところに見えてくるんです。このエキスこそ人間の生きた跡そのものです。恐竜を研究するのに足跡を見たりするのと同じです。このエキス研究が、史学と呼ばれるものです。どうです、こんな風に聞いてると、まさに人間そのものを研究するものだと思えてきませんか。ね、思えるでしょ、楽しみでしょ。これから色んなエキスを一緒に探しましょう。

これからの時代はもっともっと複雑になって、本当に迷路みたいになりそうです。今でも十分迷路ですけどね。そんでそんな迷路の中でもしっかり歩いていくにはどうしたらいいかというと、道しるべをしっかり見ていくことが大事だと僕は思っとります。昔の神話の話ですけど、英雄テセウスが迷宮ラビリントスの中にいるミノタウルスを退治に行く時、迷宮の入り口から糸を出して進んでいったと言います。そんでテセウスはミノタウルスを退治した後、その糸をたどって無事迷宮を脱出できたという話です。これを学問の世界の強引に置き換えてみると、テセウスが伸ばした糸は、言うなら先人の残してくれた研究成果です。僕たちはこの糸、はるか昔から連綿と続く糸の張りを見ながら、今自分の研究している地点はどこなのか、よくよく注意しとかんといかんです。そうでないとすぐ迷路に迷い込みます。もしかしたら、当の昔に先人たちが研究して明らかにしてくれた一つの事実を、そうと知らずに今自分一人で長い時間をかけてようやく探し当てたと思っても、その時には一生のほとんどを使ってしまってるかもしれない。そんなことはしてはいかんのです。それは先人たちへの失礼にあたります。僕が学問について、学んでから問うのが大切だと言ったのは、そんな無為な時間の使い方をしないためでもあります。まず学んで、それから問う。これが大事です。

さあ、いよいよ皆さんの史学研究が始まります。では皆さん、今自分が座っている椅子を見てください。この椅子について考えることが、もう史学の、学問の始まりです。今この瞬間に、この場所で、このメンツの中で、この自分を上に乗せて踏ん張っているこの木の椅子が、何で存在しているのか、何で存在するようになったのか、それを考えてください。そんで皆さんが大学を卒業するとき、その答えをそっと僕に教えてください。楽しみにしてます。

それでは皆さん、あらためまして、ご入学おめでとうございます!どうぞよろしく!