思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

誕生日前日の女

女にとっての誕生日とは、自分の価値が目減りしたことを思い知らされる、一年に一度の悲劇である。とりわけその悲劇の前日ともなると、まさにこれから処刑場へと案内される囚人のような心細さと恐怖を感じずにはいられない。

一年前の自分の写真を取り出し、鏡に写る今の自分と比較してみると、一年前の自分は随分と美しく若々しかったと感じてしまう。肌の艶も、髪質も、皺の数も違うような気がする。今の自分の姿といえば、去年から10歳くらいは歳を取ったように老けて見える。そういえば一ヶ月前はもっと若かったような気がするし、昨日は今日ほど老けていなかったような気もしてくる。

男は女と比べれば随分と気楽なものだ。歳を取ったからといって、女ほど価値が下がるわけではないし、仕事の上ではプラスに働くことすらある。年功序列の組織にいる男ならば黙っていても昇給できる記念日になるのだから、全く気楽なものである。

女も子供の頃は、早く歳を取りたいと思っていたこともある。早く大人になって化粧したりデートしたり結婚式を挙げたいと憧れたこともある。しかしそれはあくまで自分の思い描く美しさのピークまでであって、それ以降も歳を取ることを神様にお願いした覚えはない。

歳を取るとどんどん現実的になり、店でも安売りの品にばかり目が行くようになる。普段は自分が安い品を選り好んでいるはずなのに、明日の誕生日からは自分自身が安売りの棚に並べられて品定めされるような妄想が湧き上がる。もう自分はスーパーに行くのはやめようかと考えたりもする。

去年の自分と比べて、今の自分は何か成長しただろうか。そもそも女はいつまでたっても人格が育たない生き物である気がする。いくつになっても人の悪口と幼稚な妬み、いざとなれば男に責任でも何でもなすりつければいいと考えている女ばかりが周りにいることを思い出す。そして自分もその内の一人に過ぎないことを考えると恐ろしい。結局の所、この一年で確実に変わったことといえば、自分がまた一つ悲しい年寄りに近づいたということだけだ。

今日の夜はどんな風に過ごしたものだろう。明日になれば誰かしらが「おめでとう」と言ってくれるだろうし、それに対して自分は「ありがとう」と答えてまわるだろう。「安くなったねおめでとう」と言われて「ありがとう」と返すしかないなんて、なんて悲しい生き物だろう。せめて今日くらいは一人で過ごして、今日までの自分に「お疲れ様」と、明日からの自分に「頑張れよ」と言ってあげたい。