思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

指揮する少年

朝のうちに空を覆っていた灰色の厚い雲が穏やかな風と共にちぎれ行き、陽の光がその隙間から少しずつ差し込むようになった午後の時間、片側一車線の車通りの少ない道路をゆっくりと一人歩いていたところ、後ろから一台の自転車が若々しい足取りで走ってきた。自転車が私の右側を颯爽と通り過ぎようとしたとき、私がちらりと横目で見てみたところ、乗り手は紺色のズボンに白いシャツを着、首にはオレンジと黒の斜線が交互に入ったネクタイを着けた少年であり、どうやらすぐ近くの中学校の生徒らしかった。彼は両手をハンドルから離してペダルを漕いでいた。なるほど中学生くらいなら両手離しで自転車を漕げるアピールをするのもごく自然の生理なので、よくある微笑ましい光景だと思えた。

私が彼の姿を日曜日の午後のひとときのささやかな思い出として数日ほど心の片隅に留めておこうと思っていたところ、その後の彼の動きが、その姿をおそらく数日と言わず数ヶ月は私の記憶に残すことになろう強い印象を与えた。

彼はだらりとだらしなく下ろした両腕を徐々に上げ、八の字になるように開いた。そこまで開いたかと思うと、今度は両腕を振り子のように顔の前に持ってきて、ほとんど両手が合わさるようにした。そうしてもう一度八の字に開き、また両腕を振り子のようにして顔の前で手を合わせるようにした。こんな動きを彼は何度も繰り返した。私は最初、彼が何をしているのかわからなかったし、むしろ、道路の反対車線にまで自転車の軌道がずれて行ってゆくゆくは向こうの電柱にでもぶつかるのではないかと内心ひやひやするばかりであったが、彼の腕だけでなく全身をよく見てみると、彼が何者であるかのおおよその検討が着いてきた。

耳を澄ましてみると、どうやら彼は鼻歌をフンフンやっているらしかった。そして彼の頭をみると、鼻歌のフンフンのフの部分を鼻から出すのと同じタイミングで頭を前に揺らし、ある一定のビートを刻んでいる様子だった。そして指先にも注目してみると、両手の人差し指だけを凛々しくピンと伸ばしていた。

これを見て私は、なるほど彼は指揮者だ、それも自転車の上の指揮者だと理解した。彼は全身を使ってビートを刻み、両腕でそのリズムを白日の下に表現していたのだ。

首に巻いたオレンジと黒のネクタイが風になびいて肩にかかっていたが、それは指揮者の装いのように、彼のつややかな白い顔を引き立てていた。紺のズボンも白のシャツも、思えば指揮者台に立つ立派な正装と言えなくもなかった。

もしかしたら彼は学校の吹奏楽部なのかもしれない。そして彼は今度の演奏会で指揮をすることになっているので、寸暇を惜しんで練習に励んでいるのかもしれない。さらに彼の頭が激しくビートを刻んでいることから考えると、今時の若者向けのロックな音楽を演奏するのかもしれない。

そんな指揮する彼を後ろから見ていると、もうすぐ彼の自転車の軌道が向こうの電柱にさしかかるところだった。このまま指揮を続けるつもりか、ここは一旦休んでもいいのではないかと彼に無言の念を送っていたところ、彼は指揮する片方の腕の振り幅を調節して体をやや左にかたむけることによって、電柱との衝突を見事に回避して見せた。この動きにより私は、彼が昨日今日に車上の指揮を始めたわけではないこと、そして自らの指揮に絶対の自信を持っていることを理解した。

その後彼は道路の一角を右に曲がり、私の視界からは消えてしまった。彼が私にだけその自慢の指揮を見せてくれたのか、それとも曲がった先でもずっと指揮を続けているのか、どちらだろうかと考えてみたけれども、やはりあの指揮者はペダルを漕いでいる限り指揮を続けているだろうと思ったし、またそうあってほしいと思った。