研究者と芸術家
一つの道をひたすら歩き続ける職業として、研究者と芸術家は並べて論じられることがある。
確かに、一つの道を歩き続けるという点で両者は共通している。
しかし、その歩き方は全く異なるものである。
研究者はその先に答えがなければ歩けないのに対し、芸術家は答えがなくとも歩けるのである。
さらに言えば、芸術家には、答えが答えだとわからないのだ。
芸術家も、答えを求めないわけではない。しかし、その答えがどれであるかわからずに歩き続けるがゆえに、永遠に答えにたどりつけないのである。
求めてはいるけれども、永遠に抜け出せない無限迷宮をさまようのが芸術家である。
研究者と芸術家の二人が山を登っている場面を想像しよう。
そしてその山の頂上には、誰の目にも明らかな、ある一つの答えが置かれているとしよう。
研究者の彼が頂上に着いてその答えを手にしたとき、彼は無上の喜びを見出す。
孤独に耐え、苦労して一人歩いてきた結果なのだから、その喜びもひとしおである。
その輝かしい答えを手にしながら、彼は顔を上げ、遠くに高くそびえる山を認め、今度はその頂上に向かって歩き始める。
芸術家の彼が頂上に着いてその答えを手にしたとき、一瞬微笑んだように見えるが、その表情はどこか暗い。
彼には今しがた手にした輝かしい答えが、答えであるようには感じられない。
しばらくうつむき、深く物思いに耽りながら頂上をぐるぐる歩き回った後、彼は来た道を振り返り、山の麓まで降りていく。
麓まで降りた後、頂上を見ながら深く考え込んだかと思うと、彼は再びその同じ頂上を目指して歩き始める。
芸術家が、研究者と同じように答えを見出す時は、芸術家としての生命が終わった時である。
答えが答えだとわからないからこそ、彼は芸術家足りえるのである。