自立抑制装置としての労働組合
日本では労働者、いわゆるサラリーマンとして会社に雇用されて働く人が多い。
労働者という言葉には何やら世間では消極的な意味づけがされやすく、それにより余計にこの働き方に嫌気を感じる人も多い。
そんな労働者を守るため、「労働組合」というものが生み出された。
この労働組合は、経営者に対抗し、労働者が自分たちの権利を主張するために組織されている。機能していない労働組合もかなり多いが、この記事においては活発に機能しているものと仮定して書いていく。
この労働組合に入れば、組合員の賃金や労働環境はある程度守られる。組合に入らない場合よりも、より快適な環境の下で日々の仕事を行うことができる。
経営者と対面して労働条件の改善について交渉すれば、少しずつより働きやすい条件に改善されていく。
この組合組織は大変すばらしいもののように見える。どうせ同じ働くなら、誰もが少しでも良い条件で働きたいと願うものだ。
しかしこのすばらしさにこそ危険性が潜んでいる。その危険性とは、自分達が主張して経営者から与えられた権利が、まるで自分達の力で得たもののように感じられることである。
経営者からしてみれば、適度に組合を運営してやることで、労働者を囲い込みやすくなる。それなりに働いてもらうためには、それなりの環境を準備することも経営者の仕事なのである。
そのためには、時々労働者の望む条件を少し飲んでやる。そうすれば、労働者は喜んでその後も働いてくれる。
経営者側としては、組合の求めるより良い労働条件は、組合が自らの力で得たというよりは、経営者が与えてあげたものなのである。
この組合という組織は、一見すると労働者が経営者から自立するためのすばらしい組織に見えるが、実は労働者の自立心を抑制する効果があるのである。人は与えられれば与えられるほど、それに頼ってしまう生き物なのだ。
労働組合が労働者を保護すればするほど、彼らは会社から抜け出せなくなる。
書店ではキャッチーな本のタイトルで煽られ、その度に会社から抜け出したい!と思っているにも関わらず、経営者から与えられるより良い労働条件が彼らを会社に引きとめようとする。
会社組織から抜け出して自立したいと思っている人間にとっては、労働組合は大きな足枷になり得るのである。