文章化以前以後
自分の思いを文章にして書いていると、あやふやでまとまりのなかった頭の中から言語化できる要素が搾り出されて、脳が少しずつすっきりしていくのを感じる。
日々の思考の跡を振り返ってみると、自分の歴史のようにも思えて少し嬉しくなる。
しかしそれと同時に、少し寂しくもある。
あれだけ大切にしまっていた宝物のような思いを、ついに文字にしてしまった。
私の中から、誰の目に触れるかもわからない外の世界に追い出してしまった。
もうこの思いは、私の中には帰ってこないのだ。
こんなことなら、文字になどせずにずっと大切にしまっておけばよかった。
そんな寂しさとともに、自分の能力の低さにも打ちひしがれることになる。
頭の中でああでもない、こうでもない、とこねくりまわしているうちは、自分はとんでもなくすごいことを考えているのではないかと半ば自惚れていた。
ところがいざ文章にしてみると、これっぽっちのことしか考えられていなかったのかと、自分の思考レベルの低さに絶望することになる。
それにしても、文字にする前の私の発想は、この程度のものだったのだろうか?
本当は、言葉では表せない部分があまりに多くて、言い表そうとしても一部分しか外に出て行かないのではないか?
実は文字にして表すこと自体が、発想をちっぽけなものにする行為なのではないか?
子供の頃、まだ文字を学ぶ前の頃は、それこそ自由の極みともいうべき発想を、頭の中で繰り広げていたのではないかと思う。
物心つく前の記憶がないのでなんともいえないが、文字を学ぶ前のほうが豊かな発想だったのではないかと思う。
そもそも幼い頃の記憶がないということも、記憶にも留められないほどの発想の洪水が起きていたことの証拠ではないだろうか?
文章化する能力を高めることができれば、自分の思いもすべて表現できる時が来るのだろうか。
「文字にして表せてはいないけれど、本当はもっと色々と考えているんだ!」と、自分を慰めることもなくなるのだろうか。
これからも自分の思いを文字にすることは続けることにしよう。
文章化以前と以後の自分がぴったりはまるような、すべてを言い表せる時が来ることを楽しみにしながら。