思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

シーソーの上の恋人たち

私は男女の恋愛関係を、シーソーのようなものとして捉えている。
今日はそれについて、自分の考えをまとめておきたい。

 

ここで一組の男女と一つのシーソーに登場してもらおう。

 
女がすでにシーソーに座っている。誰か早く来ないものかと待ちかねている。
女は美しく着飾っており、シーソーも自分好みの色に塗って目立つようにしている。
そこへ男がやってくる。美しい女とよく手入れされたシーソーに惹かれてやってくる。
女はこの男を品定めし、彼なら自分のシーソーに座ってもいいと判断する。
女は空いているシーソーの席を手で案内する。男はシーソーに腰を下ろす。
これまで女が座るシーソーの片端は地面に突っ伏していたが、今男が座ったことにより、その両端は宙に浮かぶことになる。
これにより男と女の体も宙に浮かぶ形となり、シーソーは両端のバランスによって揺れ始める。
 
 
これがいわゆる恋の始まりである。
 
 
このシーソーの上の男と女は、何とも言えない爽やかな浮遊感に満たされている。
何やら辺りもきらきら眩しく光輝いているように感じられる。
気持ちの良い甘く香る風も二人を優しくなでていく。

こぎ始めた頃は、片方が力強く地面を蹴り上げたことで、もう片方がびっくりして上に跳ね上ることもあった。
どちらが最初にこぎ始めるのか、様子を見て腹を探っていたこともあった。
しかし今では、お互いに余分な力を加えずとも、シーソーは穏やかに揺れている。
語らずとも、相手の呼吸に合わせ、適切にバランスを保っている。

この幸せな浮遊感は永遠に続くように感じられる。
 
 
ところが、いきなりシーソーの片端が地面に叩きつけられる。
どうやら男の座っている方が叩きつけられたようだ。
男は尻から無防備に落ちたので、全身に衝撃が走るが、痛みはまだ感じていない。というよりも、何が起きたのかまだ把握できていない。
女はすっと立ち上がり、シーソーを後にしてすたすたと歩いていく。
男は呆然としてまだシーソーに座り込み、また女が戻ってくるだろうと思って待っている。
しかし女は二度と同じシーソーの元には帰らない。

 
これがいわゆる失恋である。
 
 
不意に尻から落ちた男は、少ししてから鈍い痛みに苦しみ出すだろう。
失恋の痛みは、その瞬間には訪れず、時間を置いて一斉に襲ってくるのだ。
 
女は別の男が座って待っているシーソーに向かうのかもしれない。
もしかしたら、別の女が座っているシーソーが気に入り、その席を奪うかもしれない。
先の男も痛みが引いた後、もう女が帰ってこないと悟ると、最初のシーソーを後にして別のシーソーを探すか、依然座ったままで他の女が来るのを待つかもしれない。
 
 
このシーソーでは、男と女が特に語らいもせずにいきなり恋を始め、またいきなり別れたわけだが、案外現実の恋愛もこのような突然の出来事だと私は感じている。