思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

思うところあって

自分の方針を転換したり、環境を変えたことを人に報告するにあたり、「思うところあって・・・」という表現が使われることがある。
私はこの言葉を以前からたびたび目にし耳にし、思わず格好つけて真似してみたくなったりもするのだが、よくよく考えてみると面白い表現である。

 

何と言っても興味深いのは、「思うところあって・・・」と言ったその後に、その「思うところ」が何なのか、明らかにされないところである。

 

例として、一人の男が「思うところあって、僕は会社を辞めたんです。」と報告している場面を想定しよう。 

 

ここで彼がその「思うところ」を具体的に述べることはない。
受け手としては、彼の「思うところ」の片足だけ見せられて、その胴や頭を見ることができない。
これはとてももどかしい。それが美女のように感じられる場合は格別である。

 

彼にとって「思うところ」はあくまで「思うところ」とするからこそ意味があるのであって、それを詳らかにしてしまうと、せっかくの格調高い表現が途端に俗っぽくなり、つまらなくなるのである。幻想が現実になるのである。
恋人もアイドルも、皆自分と同じ人間なのに、幻想を抱く者にとってはそれ以上の存在となる。幻想を拭い去ると、自分と同じく大して面白くない人間を見出すだけである。
具体的な真実とは、大抵つまらないものなのである。

 

時には彼の「思うところあって・・・」の「思うところ」が何なのか気になるあまり、彼に問い尋ねる人もいるが、これに対し彼は「詳しい事情はまたの機会に」とか、「ここではない別の場所で言及しています」などといって、「話せば長くなる深刻な事情なので、こんな場で手短に話せるものではありません」とでも言いたげな表現でその場を回避する。

あえて曖昧な表現をちらつかせて受け手の興味を引く手法はよく見られる。
とっておきの真実は出来る限り最後までとっておきたいものである。
その真実がいかに陳腐なものであろうとも、ひとまずその真実があらわになるまでは、束の間でも相手に幻想を抱かせることができる。
「普段の振る舞いからは想像もできなかったが、実はとても深く物事を考えている人なのではないか?」と思わせられればしめたものである。

 
このように考えてくると、この格調高い表現を使用する彼は、崇高な思想の持ち主であることを周囲に印象づけるのが目的なのではないかと思えてくる。

後になって彼の「思うところ」の内容を探ってみると、彼が元いた環境と合わなかったとか、方針に納得がいかなかったとか、その類の内容であることが多い。
崇高な思想の持ち主である彼には、低劣な周囲の環境や、お仕着せの方針などはふさわしくない。
低級な者に彼の崇高な思想は到底理解できるものではないのだ。
そして彼が今「思うところあって・・・」と語る相手も、彼にとってみれば取るに足らぬ存在なのである。
そのような相手に、彼の崇高な思想を事細かに説明してやる必要などないのだ。時間の無駄である。

 

 

思うままに書き連ねたが、どうやら私はこの「思うところあって・・・」という表現に対し、あまり良い印象を持っていないようである。
もったいぶって、真実をより深遠なものに感じさせようとする姿勢が好きになれないのかもしれない。

 

私も日々「思うところ」があり、そのためにこのような記事を書いたり考え事をしたりするのだが、すくなくともここで自分の考えを書き連ねるにあたっては、「思うところあって・・・」などと自分を煙に巻く表現は使わないことにしよう。
自分のために書いているのに、自分に対してもったいつけた表現など無意味である。
ましてや自分に自分の幻想を見せつけようとするなど、極めて間抜けな行為である。