思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

本の読み方

本を読んで、全体の要約やあらすじを書くことがしばしば推奨される。
学校の国語の授業でもそれを求められてきたし、私もそれを長い間大切なことだと思ってきた。

 

確かに全体の枠組みを捉えることは、一つの体系として把握するために有効だと思う。
人に本の内容を話す時には、一言や二言でわかりやすくパッケージされていた方が、聞く側としては手っ取り早いだろう。
読んだ側としても、頭の中で本棚のようにすっきり整理されていた方が満足感があるし、優越感も感じられる。

 

しかし本を読むということはとても個人的な行為で、必ずしも誰かにその内容を話さなければならない、というものでもない。
評論家やレビュアーでもなければ、読んだ内容など静かに胸にしまって終わることの方が多いかもしれない。

 

私は以前、随分と真面目に本と付き合っていた。
読んだ内容を自分の言葉ですっきりまとめられるくらいに、整理して読むべきだと考えていた。
書かれている内容は、好きな部分も嫌いな部分も含めて、全てに精通しておかなければならないと考えていた。

 

しかしそれは私にとって、とても息苦しいことだと気付いた。
本を読むなんてことは、肩肘張って真面目に取り組むものではないと感じるようになった。
部分部分を拾い読んで、「へえ〜」とか「なんかいいなあ」程度でいいのだと考えるようになった。

 

全体としてすっきりまとまっていて、あらすじを求められればすぐに話せるような本がある。
全体としてはよくわからないが、どこか一箇所が強烈に心に残っていたり、「なんかいい」と思える本もある。
私が個人的な名著として数えるのは、後者のような本である。

 
以下はその個人的な名著のうちの一つである、ドストエフスキーによる「未成年」の中の一節である。

 


「いいかい、約束や契約ぬきだぜ、――ただぶっつけに友だちになろうや!」
「そうよ、ただよ、ぶっつけによ、でも一つだけ約束があるわ。もしいつかあたしたちがお互いに責め合ったりしても、なにか不満なことがあったり、自分がわるい、よくない人になったりしても、またたといこんなことをすっかり忘れてしまうようなことがあっても、――決してこの日この時を忘れないということよ!こう自分に約束しましょうよ。あたしたちがこうして手をとり合って歩いて、こんなに笑い合って、こんなに楽しかった今日のこの日を、いつも思い出すことを誓いましょうよ・・・ね?いいでしょ?」


新潮文庫 「未成年」(著)ドストエフスキー (訳)工藤精一郎
 平成21年 上巻p.423,424より)

 

未成年である主人公とその妹が語り合う場面である。
この「未成年」という小説は、私としてはとても読みづらく、ページをめくるのが億劫になる程だった。
全体としては非常にわかりづらいし、すごく好きな小説というわけでもないけれど、私はこの場面が描かれたページにしおりを挟んで、いつでも読めるようにしている。
というより、この作品を手に取る時は、この場面だけを何度も読んでいる。

 

本を全体として真面目に捉えるのは息苦しいし、案外つまらないものだと思う。
部分部分を拾い上げて、何かを感じる程度でいいのだと思う。