思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

渋滞時の車線選択

高速道路においても下道においても、公道を走る限り渋滞というものには否応なしに遭遇してしまう。
この渋滞は出来ることなら早く抜け出したいものである。
バイクは幻の車線を自ら作り出して走り去っていく場合もあるが、車も出来ることなら我先に前へ前へと一秒でも早く出て行きたい。
渋滞時にどこに陣取ればスムーズに進めるかというテクニックは聞いたことがあるが、私としてはあまり信用していない。

 

どの車線を選んだとしても、渋滞脱出時間は大して変わらないのではないかと思う。
むしろ早く脱出しようともがけばもがくほど、余計に遅くなるのではないか。


仮に、一番右の車線が渋滞時には有効だとの説があるとする。
この説を信じた多くの車が一番右の車線にどんどん流れ込んでいく。
渋滞とは車と車が有機的に絡み合って、自然な流れが阻害された時に発生するものである。
一車線に多数の車が流れ込むことは自然ではない。
順調に流れると思われたこの車線もいずれは滞り、新たな渋滞が発生する。

 

せっかく他の車を押しのけて一番右の車線にやってきたのに、今度は自分より左を走る車のことが気になってくる。
「なんだ、こっちよりも、左の方が車が流れているじゃないか。よし、今度は左だ!常に最速の車線を選び続けることが、渋滞脱出の早道だぜ!」
「ふう、何とか左の車線にまでやってこれたぞ。ん?おいおい、一番右の車線が流れ出したぞ。他の車もどんどん右に移っていくじゃないか。うかうかしてられん!今度は右だ!」
「はあ疲れた。ん?あれはさっき俺の後ろにいた車じゃないか。何であいつの方が俺より前を行ってるんだ!?むかつく。おら前のお前、早よ進めや!」

 

 

車の流れは一点を見て判断すべきではない。
コーナーでは曲がった先を見据えることが大切であるように、渋滞でも少し先を見ることが大切である。
ある部分が二つに短く枝分かれした川は、一方は早く流れており、もう一方は穏やかにゆったりと流れている。
それら二つの枝の先を見てみると、結局は合流して一本の大きな川になっている。
どちらの流れも行き着く先は変わらない。

 
無駄なガソリンと体力の消耗、および車線変更に伴う事故率の増加を望まないのであれば、最初の車線をのんきに走っているのが最善ではないかと思う。