思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

マンホール

よく雨が降った日の翌日のホームルームで、太郎の在籍する3年2組の担任教師である南は、いつも生徒に見せる和やかな笑顔を浮かべながら全員に向かって話した。

「昨日はすごい大雨でした。土砂降りで洪水のような日は、マンホールが開いてしまうこともあります。あんなところに入ったら、皆さんではきっともう出てこれません。くれぐれも日頃からマンホールには近づかないようにしてください。今日のホームルームはこれで終わりです。では皆さんさようなら。」

 

太郎は友達二人と一緒に帰った。そのうちの一人である裕也は、帰り際に担任の南が言っていたことを思い出し、アスファルトで舗装された道の真ん中に置かれているマンホールに近づいて、本当にそれが開いたりするものか確かめようとして、その上でジャンプしたり、穴を覗き込んだり、拾ってきた木の枝で溝を一周引っ掻いてみたりした。昨日の大雨によって洗われたマンホールの表面が太陽の光を強く反射して、裕也の体を照らしていた。

「こわいよ。やめとこうよ。南先生も言ってたよ。」もう一人の友達の健二が、興味と怯えを感じながら裕也に注意した。

「こんなの絶対に開いたりしないよ。がちがちにハマってるもん。」裕也は木の枝を道の脇に放りながら言った。

太郎も健二と同じく、マンホールには近づかなかった。裕也もすぐにマンホールから興味をそらし、三人で昨日のお笑い番組に出ていた人気芸人のモノマネをしながら並んで歩いて帰った。

 

次の日、裕也は学校を休んだ。担任の南が、裕也は風邪で休んだと皆に伝えた。その日のホームルームで、南はまた先日と同じ注意を促した。

「昨日から天気が良くなってきましたが、危険なのでマンホールには絶対に近づかないように。それでは今日も元気にさようなら。」

 

太郎は健二と一緒に、昨日と同じ道を歩いて帰った。陽気に晴れた空から陽の光が差していた。昨日と同じ場所に置かれているマンホールは、昨日よりもより強い光で照らされていた。

「先生ってマンホールのことをすごい気にしてるよね。」健二がマンホールに近づいて言った。健二も、ある行為を強く注意されると、最初はしようと全く思っていなかったことでもしたくなってしまうという、子供心によく起こる動機に突き動かされて、マンホールの上に乗り、小指一本分ほどの穴をかがんで覗き込んだ。すると、一匹のゴキブリがその穴から飛び出し、健二の股の間をすり抜けていった。健二は驚いて尻餅をつき、身を翻して太郎に飛びついた。2人は顔を見合わせた後、ピンポンダッシュをした後のように勢いよく走って帰った。

 

翌日、健二は学校を休んだ。裕也は普段通り学校に来ていた。その日の授業中、南の立つ教壇の下からゴキブリが飛び出し、クラス全体が大騒ぎになった。南が靴ですぐさま叩いて潰したので騒ぎは収まった。このお祭り騒ぎの中、裕也は他の誰よりも怯えており、一目散に廊下の端っこまで逃げ出していたが、皆は裕也のビビリ具合を笑っただけだった。

その日のホームルームでも、南は先日と同じような挨拶をした。

「風邪が流行っているみたいですので気をつけてください。そして皆さんの中にはいないと思いますが、マンホールには絶対に近づかないでください。それではさようなら。」

太郎は裕也と一緒に帰ろうとしたが、裕也が「今日から別の道で帰る。」と言ったので、結局一人で帰ることになった。

いつもの道の真ん中に、いつものマンホールがあった。昨日よりも強く太陽の光がその上に輝いているようだった。太郎は一昨日と昨日、裕也と健二がマンホールの上にいた姿を思い出した。ふと若干の疎外感が胸によぎった。太郎は首を振って周りに人がいないことを確認し、マンホールに近づいた。その上に乗ることはせず、小指一本分ほどの穴をかがんで覗き込んだ。健二の時のようにゴキブリが出てくることはなかった。何もないことにがっかりし、太郎が腰を上げようとしたその時、穴から生暖かい息のようなものが漏れてくるのを顔に感じた。太郎は反射的に顔を背けたが、その勢いで強く尻餅をついてしまった。体を起こすと、全身の毛を逆立てながら全速力で家に向かって走った。

 

翌日、健二は普段通り学校に来ており、ようやく3人とも揃うことができた

南はまたも先日と同じような挨拶をした。「最近はとても良い天気が続いていますね。くれぐれもマンホールには気をつけて、元気に外で遊びましょう。それでは皆さんさようなら。」

 

3人は一緒に、裕也が新しく見つけた道を通って帰った。その道にはマンホールは一切なかったので、3人は安心してお笑い芸人のモノマネをしながら帰ることができた。