思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

老師との対話「種蒔き②」

老師

どんな重大な点を見落としていただろう?

 

若者

それを取り上げる前に確認しておきたいのですが、種蒔き人によって蒔かれる種というのは、まさしく教育者が施す知恵のようなものと考えて間違いないでしょうか?

 

老師

もちろん私もそのように考えているよ。蒔かれる種によって、つまり与えられる知恵によって、教育を受ける者は自身を成長させる。

 

若者

ありがとうございます。

それでは、私が思う見落としのまず一つ目は、蒔かれる種にも多種多様な種類があるということです。

早く育つ作物もあればゆっくり育つ作物もあります。水や陽の光を多く与える方がよい作物もあれば、あまり多く与えない方がよい作物もあります。

そしてそれらを蒔くのに適した時期というものも、その種と同様に多種多様なのです。

先程のお話の中では、蒔かれる種の種類についての言及はありませんでした。種がただ一種類しかないかのように、それぞれの種蒔き人が同じ種を蒔いていたのです。私が思う優れた種蒔き人の条件の一つは、あらゆる種類の種を知識と経験により知っており、またそれら一つ一つの種が持つ適切な時期というものを考慮に入れながら蒔くことのできる人である、ということなのです。

 

老師

なるほど、私は全く寝ぼけていたね。たくさんの作物がどれも同じ種から実るかのように考えていたなんて。

 

若者

そして種の種類を教育に当てはめるならば、先程も老師さまが答えてくださったとおり、それらは教育者によって施される多種多様な知恵だということになります。

この知恵についても種と同様、それぞれ与えるに適した時期というものがあって、闇雲にどっさりと与えてよいものではないと思います。例えば恋に関する知恵や結婚生活に関する知恵、はたまた老後の生活に関する知恵などをもし小さな子供に与えたならば、その子はどうなるでしょう?きっとその時点ではまったく想像もできない将来のことを聞かされて、まあ楽しみに聞くことはあるでしょうが、少なからず困惑するか、自分には関係のないこととして右から左に通り過ぎてしまうことでしょう。しかしそのように通り過ぎてしまえば幸運でして、もしかしたら一生涯塗り替えられることのない観念というものがその子に植え付けられて、将来適切な時期が来れば自分で身をもって体験し、時間をかけて自分自身の考えを持てたはずの恋や結婚生活や老後の生活のことなどを、幼く柔らかい自分の土地に植えつけてしまい、強力な根を張ってその精神に住まうことになるかもしれないのです。こうなったらその子の進む精神や気質はおおよそ決まってしまったようなもので、一見幼いながらも自分の将来についてしっかり考えている子供のように周囲の大人からは感じられるものの、いわばロボットのように、種を植え付けた者が教えたとおりに話したり考えたりする人間になるのです。私としては、その子の人生はきっと豊かなものではないと思います。周りの子供たちはその時期に適切な知恵だけを与えられ、小さな体に重い荷物を背負うことなくのびのびと走り回って遊んでいるというのに、その子だけあまりにも早すぎる時期に重い荷物、場合によっては多くの大人でも運ぶのに窮するような大荷物を背負わされ、満足に飛び跳ねることもできないのですから。

このような事態に陥らないためにも、優れた種蒔き人と呼ばれるためには、その種の種類、これから与えようという知恵がどういう性質のものであり、いつ与えなければならないものか、正確に判断できる人でなければなりません。先程のお話の中では、優れた種蒔き人は優れた土地にのみ種を蒔くとのことでしたが、いくらその人が優れた土地を見出すことに長けていたとしても、肝心の種を出鱈目に蒔いてしまうようであれば、その人は決して優れた種蒔き人とは呼べません。

長々としゃべってしまい申し訳ありません。とにかく先のお話で抜け落ちていた点の一つというのは、種の種類への言及です。

 

老師

ありがとう。私が寝ぼけて落としてきた物を拾いあげてくれたね。でもどうやらその様子では、まだ落し物はありそうだね?