思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

時代

時ははるかなずっと昔から、止まることなく川のように流れていて、人の手にはとても負えそうにない。それでも、少しでも川の流れを手ですくいたい、その手で温かさや冷たさを感じ取りたい、そんな気持ちから、一区切りの時代という概念が生まれた。

時代を分ければ、自分達がどんな流れの中にいるか、少しだけわかったような気になれる。前の時代があれだった、その前の時代はああだった、その前の前の時代はあんなだった、じゃあ今はどうなんだろう?そんな風にして、昔と比較して、今を理解しようとした。そして、時代時代にひとまとめにして、思い出を語りやすくした。あんな時代もあった、こんな時代もあった、そんな時代の中で、自分自身にはこんなことがあった、あんなことがあった。そんなことを、身近な人たちと面白おかしく、あるいは悲しみの慰めとして語り合おうとした。

嫌なことを忘れて、未来に希望を持ちたい、そんな人々の思いもあった。新しい時代が来れば、何かが変わるに違いない、いや、変わらなくても、変わろうとする思いが大切なのだ。みんなで一緒に、手を取り合って、とまではいかなくても、笑いあって、その先も笑いあえる時代にしたい、そんな思いがあった。結局、前の時代みたいに、笑っていられる時間なんてほんの少しになるかもしれないけれど、せめて今だけは笑いたい、そんな思いもあった。

時代は変わる、というけれど、それはおそらく、川の流れが場所によって、速くなったりゆったりになったり、あるいは深くなったり浅くなったりするだけで、時の流れそのものからすれば、全然取るに足りないもの、よくあること、何度も繰り返してきたこと、当たり前のこと。ただ、その流れの中であたふたして流されるだけの私たちは、ちょっとした変化であたふたして、大げさに騒いで、また流されて、またあたふたして、を繰り返すばかり。川の外から見れば笑っちゃいそうになるかもしれないけれど、今のところ、この川を外から見られる人はいないので、やっぱり誰もがあたふたするばかり。

川の流れは止まらないし、流れを変えることもできないけれど、自分自身がどんな風に流れるか、それだけは選べるはず。選ぶために人として、意思を持つものとして生まれたのだから。