金言
財布に金をかけ過ぎて 財布に入れる金がない
一冊の本を一度読んだだけで済ませるくらいならば、いっそ読まない方が有意義な時間を過ごせる。
瞼を閉じても目は裏返らない。
腹が減っても戦はできる。ただ勝てないだけだ。
若い時分の失敗は、老後の酒の肴になる。
最も恥ずかしく無価値なのは、誰かを傷付けて人を笑わせることである。このような笑いしか生み出せない者は、他の誰かが人を笑わせる時、同じように生贄となっている。
流行に逆らう趣味嗜好を意識的に選ぶことは、決して少数派の選択ではなく、流行を理解できる多数派があえて人目を引こうとする他律的行為に過ぎない。
どんな名画も無地のキャンバスから生まれている。
「年取って金なくなったら野垂れ死にするからええねん」と将来への準備のなさを勇気ある行動であるかのように自信満々に吹聴する者は、実際に年寄りになって金がなくなった時、賢明に備えてきた者達にすがりついて周囲にすさまじい損害を与える上に、案外誰…
普通のことが出来ないのではなく、普通のことも出来ないのだ。
ギャンブル好きの休日は、朝食は早め、昼食はおやつ時、夕食は寝る直前である。
出不精は雨の日に安心感を覚える。
釣り人は晴れ晴れした青い空や澄んだ水平線には目もくれず、汚れた手元やゴミの浮く足元の海面ばかり眺める。
「病は気から」が真であれば、健康を気に病む者は呑気な者よりも病気にかかりやすいことになる。
金を無心することに慣れた者は、借りる時は不自然なほどにへりくだり、返す時は驚くほど傲慢である。
加工された女の美しさは、男には幻滅され、女には称賛される。
臆病者は、自分がいじめられる前に誰かをいじめる。
安売りの品すら買わなければ、さらに安上がりである。
エンジンをかけたりアクセルを踏み込むことは誰でもできるが、穏やかにブレーキをかけることは容易なことではない。
靴の下から靴下を履く者はいない。
明日の糧を得るために、今日の命を費やして仕事をする。
「泣くのはやめなよ」と言われて泣き止むことができるのは、泣き慣れた俳優だけだ。
「子どもを愛さない親はいない」のではなく、「子どもを一度も愛さない親はいない」のである。
学校は、将来の奴隷養成機関でありながら、支配者養成機関でもある。
子どもの成長は、星の運行のようである。
愛による結婚も、金目当ての結婚も、別れる原因は大抵金である。
恋多き者は経験から学ばぬ愚か者だが、恋をしない者は経験すらしない大馬鹿者である。
金を得る手段は二通りある。誰もがやりたがらないが誰でもできる仕事をするか、誰もがやりたがるが誰にもできない仕事をするかだ。
芸術とは、嘘から出たまことである。
若者は老人になることを知らず、老人は若者であったことを忘れる。