信頼と定期性
私たちが社会生活を送る上で、とりわけ重要視されるのが「信頼」である。
信頼は得難く、また失いやすいともいわれる。
この失いやすい信頼を長きに渡って持続させるには、どうすればいいだろう?
私が思うに、そこには「定期性」が大きく関係している。
この記事における定期性は、「いつもそこにある」、もしくは、「いつもそう働くものである」と周囲に認識される状態のこととして考える。
あれはいつも~だ、あの人はいつも~だ、とみなされる場合、対象は定期性を保持している。
対象に定期性を見出すとき、そこには一種の信頼が生まれる。
この信頼を頼りに、私たちは日常生活を当然のように、昨日のことが今日のことであるかのように過ごすことができるのである。
太陽を例にとってみよう。
天上に輝く太陽は、どんなときも私たちを照らすために空に在る。
どんよりと灰色の重い雲に遮られ、一日中その光を見ることができなくとも、私たちはいつも太陽が空に在ることを認識している。
太陽は雲に隠されて見えなくなっているだけで、必ず空に在るのだと、私たちは確信している。
太陽は私たちの目に見えずとも、必ず空に在るように努め、いつでも私たちを照らす用意をしてくれている。
自らの置かれている環境、目の前で常に変化する状況にかかわりなく、いつも変わらず自らの務めを果たすことこそ、私たちの目指すべき定期性の極みである。
誰の目に留まらずとも、雲の向こうで輝く太陽のように、いつもそこに在り、いつも自分の役目を果たす。
信頼とは、この果てしなく思える定期性の先にしか生まれないのである。