思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

独白 一人旅の心得

周りを気にして被っていた仮面が取り払われ、幼い子供の頃の自分に立ち返りつつあります。
精神的には大人になり、円熟には確実に向かっていると感じる一方で、人生で一貫して保つべき姿勢は、混じり気のない純粋な子供心にあると感じています。

 

以前の私は、周りの人と同じ時間の流れ、同じ道筋を生きていくことについて、何の疑いも持っていませんでした。
皆で共に楽しく旅をしていくのだと思っていました。

 

しかし今、周りを見渡してみると、以前共に旅をしていたあの人たちは、もう私の近くにはいません。
今どこで何をしているのかも、私にはわかりません。
共に楽しく過ごした日々の思い出は、私の胸に大切にしまわれています。
素敵な思い出をくれたあの人たちには、感謝の気持ちでいっぱいです。
ですが、もうみんな思い出になってしまったのです。
私の旅は一人旅であるということに、そんな単純なことにようやく気付きました。

 

旅の同伴者には気を使います。
ずっと共に旅をするなら、仲違いは望むところではありません。
仲違いをして旅がし辛くなるくらいなら、自分を偽って歩いた方がいい。
少しくらい自分の思いを我慢しても、誰かが助けてくれる方が楽に生きていける。
そんな甘えた姿勢を、私は長い間持ってしまっていたのです。

 

幼い頃、私は心から沸き起こる感情にいつも従い、生き生きとものを考え、生き生きと歩き回っていたはずです。
わからないことには純粋にわからないと感じて立ち止まり、周りの目を気にして知ったかぶりをすることもなかったはずです。

 
もう無理をして誰かと手を取り合うことはありません。
誰かに気を使って、早足で歩くこともありません。
私は皆の少し後ろを、少し道を外れて歩いていきます。


前を行く誰かが転んだら、私は駆けつけて抱き起こしに行きます。
前を行く誰かが物を落としたら、私は拾い上げて渡しに行きます。
けれど、共に行くことはできないのです。

 

私は子供の心に戻り、歩きながらいろいろと見て回ります。
わからないことをわからないなりにあれこれ考えます。
寄り道するので時間がかかります。

 

私が抱き起こしたり、拾って物を渡した人も、もう随分と遠くにいるはずです。
それを見て私は地べたに座り、少し休んでから歩き出すでしょう。

  

いつかどこかで、私の行く道を後からついてきたり、先で待っている人がいるかもしれません。
その時きっと私は嬉しさのあまり、その人たちに泣きながら抱きつくのでしょう。
そしてその人たちが受け入れてくれるなら、私は手を取り合って一緒に行くのでしょう。
一人で歩いていくと言っていたくせに、本当はとても寂しいのです。

 

心細いこれからの一人旅に思いを馳せながら、私は旅支度をしています。