思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

自殺の名所

名所という言葉には、有名な場所、という意味がある。
自殺するにも有名な場所があり、その場所はしばしば「自殺の名所」と呼ばれる。

 

「自殺の名所」と呼ばれる場所には、一体どんな特徴があるのだろう?

まず最低条件は、その場所での自殺者が多い、ということだろう。
しかし単に自殺者が多いというだけでは、その場所は「自殺の名所」とは呼ばれないと思う。
日本人が日常的に使う電車の線路上で、自殺という悲しい出来事はたびたび起こる。
この線路はいまや日本中を縦断して走っている。
人が死ぬという重大な出来事であるのに、私の感覚がすでに麻痺しているのか、それほど自分にとって重大な出来事であるという感覚がない。
私はこの出来事に遭遇することにあまりにも慣れすぎている。
「電車の線路上で自殺がよく起こる」ということは多くの人が知っているが、その場所が「自殺の名所」と呼ばれたところを聞いたことがない。

どうやら日常生活に近い場所は、そこに住む人間にとって名所とは捉えにくいようである。
もしかしたら日本の電車というものを一度も見たことがなく、噂で自殺者が多いと聞き及んだ外国人が数人集まって空想を共有すれば、遠くに住むその人々にとっては名所になりうるかもしれない。

 

今頭の中で、一般的に「自殺の名所」と呼ばれる場所を思い浮かべてみると、自分の住んでいる場所からは遠く離れた場所であった。
その場所は人里からは少し離れていて、日常からは隔絶されている。
そしてその場所の景観はとても美しく、観光に堪えるものだ。
観光目的のお気楽な人々がたくさん訪れ、この場所で戯れている。
しかし少し注意深く辺りを見渡してみると、落ちれば決して助からないであろう場所がいくつもある。

 
美しく心癒されるこの場所で、悲しく心痛む出来事が起こる。
この矛盾が不思議な感覚を呼び起こす。
こんな場所で自殺?
一体どんな風に?
誰が?
なぜ?
過去の自殺者たちはここが名所だと知ってやってきたのか?
知らずに多くの自殺者がここにたどり着き、結果として名所と呼ばれるようになったのか?
そもそも自殺とは悲しく心痛む出来事なのか?
名所などとお気楽に呼べるのは、我々の普段の生活からは隔絶された場所での出来事だからではないか?
死というものを観光地のような美しいもので飾りつけ、それそのものを見ないようにしているのではないか?


とりとめもなく書いてしまったが、ひとまず
①多くの自殺者がいる場所である
②日常から離れた場所である
③美しい景観を持つ場所である
この3つの性質を持つ場合に、「自殺の名所」と呼ばれるのだと、個人的に結論付けておこう。