思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

女の歳

[31歳]

自分の年齢を示すような数字には敏感である。 

カレンダーを見ると、1から31まで数字が振られている。19日までの日付を見ても、自分には全く関係のないものに思われる。しかし、20日から先は違う。この20という数字からは、汚してはならない神聖な光が放たれている。20日を人差し指で優しくなぞる。指の先からたくさんの思い出が、美しい音色や、甘い匂いや、鮮やかな色とともに飛び出してくる。ハタチの頃の自分!信じられない奇跡だ!自分にもあんな頃があった!

21日から先にも指を動かしていくと、次々と楽しい思い出が蘇ってくる。思い出に水を差されないよう、29日以降の日付からは出来るだけ目を逸らすようにしている。

もうすぐこのカレンダーにも書かれていない年齢になってしまう!32歳!

背中に時限爆弾をくくりつけられたような焦りを感じる。この焦りの儀式は、毎月の下旬になると静かに心の中で執り行われる。この焦りがあるうちはまだ自分は大丈夫だ。焦らなくなったら終わりだ。

 

 

[59歳]

デジタル時計は嫌いである。余計な数字が嫌でも目に入るからだ。

ふとパート先の机の上に置かれたデジタル時計を見る。16:59と表示されている。「59!」恐ろしい数字だ!ああ、ついに自分が!もうすぐに、時計にも表示されない年齢になってしまう!

時計が17:00を告げる。少し安心する。59のその先が表示されないことに安堵する。

60歳!一体自分はどうなってしまうんだろう!怖い!

ふと自分の手の甲を見る。砂漠に生えたサボテンのような指が見えて泣きたくなる。

 

 

[60歳]

こんな歳にもいざなってみれば、なんてことはない。誕生日を跨いだところで、日々の暮らしにも、自分の体にも、なんの変化も見られない。

しかし、暗い洞窟の入り口に足を踏み入れたような気がする。先の方に目をやると、奥に行くにつれて光が少なくなるのがわかる。

遠く後ろの方、眩しいくらいの陽の光を感じる背中の方からは、若い娘の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。だが振り返る気にはならない。あの笑い声はもしかしたら、遠い昔の自分の声かもしれない。しかし自分の声が思い出せない。思い出せなくても気にならない。