無限の数字
数字というのはとても便利でわかりやすいものだ。
これを見れば自分がどれだけのものを持っているか、相対的にどこに立っているのか、ある程度把握できたりする。
試験の成績は数字で示されることがほとんどである。
仕事の成果も、必ずしも反映されるとは限らないが、給料の額という数字で示されたりする。
高級アイテムも、並ではない桁数を見せてその高級度を教えてくれる。
テレビの視聴率、読んだ本の数、友達の人数、etc、、 、
どうも私は数字を見て状況を把握することに慣れきっていたようだ。
数字を見れば自分の現在がわかるものだと思い込んできたかもしれない。
大抵の物事の指標は数字で表せると考えてきたかもしれない。
しかしよく考えてみれば、この数字というものは無限の存在なのである。
宇宙の歴史の一瞬しか生きられない私は、無限とはかけ離れた存在だ。
そんな私が無限の数字と顔を突き合わせたところで、それを捕まえることなど出来はしない。
無限の数字が私を嗤う声が聞こえてくる。
お前みたいな子どもが私を捕まえられると思っているのか。
私の時間は無限で、お前は生い先短い有限の時間しか生きられない生き物だ。
私を見るのはほどほどにした方がいいぞ。
私自身、自分がどこまで続く存在なのかわからないのだ。
ましてやお前になどわかるはずがない。
自分の手元を見てみろ。
ほったらかした仕事が随分と溜まっているぞ。
私を見るのは勝手だが、少なくともお前にはそっちの仕事の方が捕まえやすいと思うが。
そんなに私のことが気になるのなら、ほれ、私の無限の一部をやろう。
嬉しいか。
そんなちっぽけな数字を見て楽しいか。
お前は本当に子どもだな。