思考のかけら

日々頭に浮かんだことを、徒然に雑然と書いていきます。

カテゴリー化前提の思考

記事をネット上で書き始めて、もうすぐ一ヶ月ほどが経とうとしている。

過去に思いつくままに書いた記事を見返してみて、整理のため各記事にカテゴリーを与えるのがよいのではないか、とふと考えた。

しかし、これについては少し思いとどまることにした。

 

記事を眺めて内容をカテゴライズすることを考えていると、自分の思考が明らかにどんどん矮小化していくのを感じた。

政治、人生、文章、動物、感情、etc...

各記事の内容を見ていると、確かに上記のような分類ができそうではある。

しかし、一度分類化を行ってしまうと、次からはその分類に基づいた思考からスタートしてしまう気がする。

政治に関する記事が少ないから、その分類に当てはまる記事を書こう。政治に関する記事を書くなら、選挙、政治家、歴史、あと何だろう・・・。

動物に関する記事が少ないから、その分類に当てはまる記事を書こう。犬、猫、虫、魚、哺乳類、鳥類、爬虫類、あとは・・・。

 

考え事の始まりの段階で、全体が最終的にどのような分類にまとまるか、当てはめようとするカテゴリーに合致するか、などと、終わりの部分を考えてしまう。

その結果、着地点ありきの、ありがちでわかりやすい結論にしか行き着かないのではないか。

書きながら未知の世界を探りたい、誰にも整理されていない自分だけの真実を導きだしたい、と考えるのならば、分類ありきの思考は癌なのではないか。

何かを分類する場合、各事象の最大公約数的な共通項を見出し、それを引っ張り出して並べていくのだけれども、その作業は一番最後の最後でよいのではないか。

初めから最大公約数的な思考に縛られては、思考の幅は著しく制限されるのではないか。

 

今後、自分の書いてきた思考の跡をカテゴライズする時が来るかもしれないが、いずれにしても今日考えたことは忘れずに心に留めておくとしよう。